詞辞の律動、その韻き ―― 言語芸術の「別に一体」を求めて


寄稿:「詞辞の律動、その韻き ― 言語芸術の「別に一体」を求めて」[研究手帖]、『現代思想』2018年3月号(青土社、2018年)
青土社 HP [*url]
Article: “Shi-Ji Rhythm, Its Rhyming Echo: In Search of ‘Another Style’ in Literary Arts”, Revue de la pensée d'aujourd'hui [Gendai shisō] (Seidosha, March 2018)


「詩がほろんだことを知らぬ人が多い」と、谷川雁は1965年に記している。短歌の「必滅」を説く折口信夫の論考「歌の円寂する時」は、彼が最初の歌集『海やまのあひだ』を上梓した翌年に発表されている。俳句を創出した正岡子規は、当の俳句を「明治に盡〔つ〕くべき」有限の様式であると観ていた。

萩原朔太郎は、文語も散文も無意味も等しく収容しうる近現代の「自由詩」を「未来詩型への建設的捨石」であると捉えていた。「来るべき未来の詩壇は、当然過去の歌を破壊し、別の新しい韻文形式を造るだらう。」

「詩歌」の限界と終焉をめぐる問いの数々。

〈詞/辞〉(時枝誠記)の文法‐存在論的な律動を、極小の〈韻〉律と見定め、そこから言語芸術の「別に一体」(子規)が開かれる場を探究する。― 予備考察、あるいは研究のための覚書。








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