アラン・バディウ「形而上学なき形而上学」[翻訳]





寄稿[翻訳]:アラン・バディウ形而上学なき形而上学」、『現代思想』2018年2月臨時増刊号 総特集=ハイデガー青土社、2018年)
CiNii [*url]   青土社HP [*url]
Article [Translation]: Alain Badiou, "Metaphysics without Metaphysics / La métaphysique sans métaphysique", Revue de la pensée d'aujourd'hui [Gendai shisō], Special Issue (Seidosha, 2018).




形而上学」の歴史的規定を経て、物自体の純粋思考、無限の実在を捉える絶対者の概念へ[220-221]。


形而上学は、その存在(existence)の合理性を、自らの〔概念的〕装置内の未規定的な地点に帰するとき、古典的であり、または教義的(dogmatique)である。プラトン以来の古典的形而上学が数学から借り受けてきたものは、単一の概念から始めることによる存在の証明である。形而上学とはその根底において、純粋な ― つまり、経験的に検証可能ではなく、その存在(être)または内容がわれわれの知識の射程を超過するが、にもかかわらず合理的に論証可能である、という意味において純粋な ― 存在(existence)を承認することである。」


「存在(être)は、ある名のもとで哲学的に接近しうるとき ― そして、この存在を定義しうる諸述語のあいだに置かれたとしても、われわれのような人間の理解が接近しうるあらゆる述語的規定を、当の存在がまさにその本質において超過することが、明示的に見出されるとき ― 本質的に未規定的である。」[215]


「未規定なものの歴史的な自己規定〔…〕その弁証法プラトン的な、したがって形而上学的な様式で ― ただし、誇張法によって高められた善のあらゆる超越が形而上学から追放されていることと併せて ― 何であれ思考可能なものの理念が存在することを肯定し、そしてそこに思考を結びつけるためには、適切な諸公理を選択すれば十分であることを肯定するだろう。」[222]


「有限から無限へのこの移行」 ― 「存在(existence)の数学化された体制」 ― 「この体制は、検証可能なものの領域にとって単純かつ可能な外部の実在をつくりだし、数えられるものによってのみ思考を編成する。それは、思考が思考するところの存在(être)とともにある思考の絶対的同一性である。」[217]


未規定なものが自らを歴史的に規定する。「弁証法形而上学」の諸テーゼ[221f]。規定性の内在的な変容過程を叙述する「論理学」[220]。非単項超フィルターの無限個の族、マラルメの暗号、他。


第二の主著『世界の論理 ― 存在と出来事 II』(2006)以後に著された、弁証法的推論を介して〈存在と思考の絶対的同一性〉を記述する出来事の哲学。








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